口から出た言葉は決して戻せない
先週、聖書勉強会に参加して
指導してくださった方のお話がとても良かったので
共有させていただきます。
日本には言霊と言われる言葉がある通り
日本人は太古の昔から言葉の大事さを
知っている民族であることは間違いないです
そして、昨今
言葉の乱れを指摘する方もたくさんいらっしゃるし
更に、言霊の大事さを改めて
見直されていますね。
とても素敵なことだと思います。
私たちの勉強している聖書は
旧約聖書に関してはヘブライ語とアラム語
で書かれており
新約聖書はギリシャ語で書かれたと言われています。
旧約聖書の頃の人たちは
言葉を本当に大事にしており
家督を継ぐ生まれた順番も
大きな事だったようです。
その事が分かりやすく記された話で
創世記の27章に
と言うお話があります。
年老いた父親イサクが
2人の男の子の長男エサウに
自分の全ての祝福を引き継がそうと思い
鹿の肉の料理を作って持ってきて欲しいと
お願いし、その家督の引き継ぎ話を
盗み聞きした
イサクの奥さんと次男のヤコブが
目の見えなくなっている父を騙して
長男エサウが狩に行っている間に
料理を作り、兄の匂いのついた服を着て
毛深い兄を装う為に毛皮をまとって
父の所へ料理を持っていき
祝福の横取りをしてしまいました。
父のイサクは長男を祝福して
家督を継がせるつもりだったのに
その後、長男エサウが狩から戻り
真実が明らかになりました。
普通なら騙されたと解ったら
やり直せば良いと思いますよね。
ところが!
人が言葉として出した祝福は
決して翻せないのです。
もう、弟のヤコブに全ての家督を譲ると
発言してしまったので
家督はヤコブに譲渡されてしまいました。
えええええ。。。。
騙したのに?
前言撤回はできないの?
計画と違うのに??
お父さんの失敗でもないのに?
そうなんです、それほど言葉と言うのは
口から出てしまったらその通りの力を持っているので
決して変更することができないと言うことなのです。
これは、創世記の事ですが
聖書の中でもう一つ言葉について
これ以上ないぐらいの一大事(?)として
記されている部分が
有名なヨハネの福音書の冒頭1章1節にあります。
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
言葉は本当に人間(多分発声のできる動物たちも)にとって
とても大事なツールであることは
間違いないですよね。
一度自分の口から出してしまった言葉は
本意でなかったとしても
取り返す事ができない
そう思うと、話すのがちょっと怖くなりますね
でも、ありがたいことに
現代に生きる私たちは
失敗したり、意味が違うように伝わった時は
撤回したり、謝ったり、補足したり
関係を取り戻し誤解を解く術も
持ち合わせています。
大抵のことは挽回できますが
でも、たまに
言い訳すればするほど
苦しい状況に陥ったりすることもあります。
人間は感情が暴走してしまったり
勝手な勘違いから
ついうっかり悪い言葉や
心にもない言葉を口走る事がありますから
常に神様と精霊にお守りいただき
決して父イサクのように
間違えないように
毎日を大事に進んでいきましょう
今日、お散歩中に見つけた
可愛いサイン。
お母さんの誕生日を大袈裟に祝うって
とても素敵だなあって
ピンときた人は是非、
自分のお母さんの誕生日にやってみて下さい。
母さん絶対ウキウキになりますね♪
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